[ 紫陽花の上にはお客様の銀色カフェ ]
「でっ、でっ、でんでん虫!!!」
土曜日のカフェに息を切らせて入って来るなりの一言にしては場違いだ。
呆れた視線で特大の溜め息を吐いてから手招きするのは将臣。
反対に、そんな発言はいつもの事と軽く流して、注文もされていないのにグレープフルーツジュースの
準備をするのはオーナーの知盛。
「あのな?土曜日にサンが来るのが不思議っちゅーか。それよりもだ。子供じゃないんだ。もう少し
マシな呼び方があるだろう?」
「だっ・・・て・・・いなく・・・なっちゃう!!!」
膝に手を当て呼吸を整えているつもりなのだろうが、まったく整う気配はない。
むしろ、マラソンランナーのゴール直後のようで、どこから来たかの方が気になる。
皮肉った笑いを口の端に浮かべた知盛がグラスを掲げて手招きすると、吸い込まれるようにがそれを
奪い、グラスから瞬時に色が消え失せた。
「ぷはぁ〜〜〜っ。死ぬかと思った。さすがです、知盛さん。ここはさっぱりフルーツ100%の出番!」
グラスに残った氷が涼やかな音を立てる。
「それで?“ででむし”がどうかしたのか?」
「はい〜?なんですか?ソレ。でんでん虫ですよ?」
知盛が言い間違うとも考えられないが、一応訂正してみると鼻先を指で弾かれた。
「“ででむし”が転じて“でんでん虫”なんだ。角よ出ろ出ろで“でで”」
の手からグラスを取ると、今度は半分ほどジュースを注いで返してやった。
「・・・物知り〜!!!知盛さんって謎だなぁ。それに引きかえ将臣くん。“かたつむり”とか言う?」
「カタツムリだろうが!でんでん・・・の方がマイナーだぜ?」
幼い時はそのような童謡を歌ったかもしれないが、いつまでも子供の様な呼び方はしていない。
「“蝸牛”も・・・“潟(かた)”と“螺(つび)”に“り”がついたものだ」
「何それ?!しらなーい」
「潮干潟と巻き貝。気まぐれに砂泥底が見えるだろう?虫も気まぐれに貝から顔を出す。まあ、俗称だ」
順番が狂ったが、温かいおしぼりを出して額に当ててやると、
「うはぁ〜〜ん。これじゃオヤジだ〜〜〜。でも気持ちイイ〜〜〜」
がおしぼりを頬に当て直して声を上げた。
「つか、知盛が虫に詳しいの意外」
「クッ・・・殻がなければナメクジとでも?」
「げげっ。そこまで言われると可愛くなくなるからいいです。・・・違うっ。いるの!いるから呼びに来た!」
飲み終えたグラスをカウンターへ置くと、将臣の腕を引っ張る。
「知盛さん、この人借ります。あのね、お土産は紫陽花で、おまけがでんでん虫」
「はあ?ちょっ・・・行って来るわ」
苦笑いで引きずられて行く将臣を、軽く手を振って送り出す。
の事だ。紫陽花を見ていて件の虫を見つけたに違いない。
紫陽花が生けられそうな花瓶を見つくろい、帰りを待ち受ける事にした。
「サンはさ〜、今日は休日出勤?土曜日だぜ?」
念のためとビニール傘を片手に持ち、せかせかと早足のの後ろをついて歩く。
「仕事のわけないじゃん、こんな服で。眼科だよ。いつもなら仕事の帰りに行けたんだけど、ちょっとね。
普段は近くて便利だな〜とか思ってたけど、こうなるとわざわざ来なきゃいかんのよ」
何のためにがここにいるのかは判明したが、行き先は不明。
そうこうして角を曲がると、まさに話にあった眼科の看板が目に入った。
「・・・俺は眼科に用事が無い」
「無くて当然でしょ。私が右目の視力検査に来ただけなんだから。そうじゃなくて、あっち!駐車場」
指差す方向を見れば、鮮やかな青と深い紫の紫陽花が咲き誇っていた。
「もう受付にも言ってあるの。少しならいいって。でね、見てたら葉にいたの。でんでん」
自慢げに胸を張るには大変申し訳ないが、ついに“でんでん”にまで省略されてしまうと何かが違う。
風流も何もあったものではない。
「あのさ・・・・・・」
「だって〜。紫が知盛さんポイ色してるんだもん。青が将臣くんみたいで、この二色がそろってるの、
お店によくない?いい感じじゃないの〜〜〜。でんでんはお邪魔虫ってことで私」
近づいて葉を裏返してはカタツムリを探しているらしい。
「いない〜、いなくなっちゃったじゃない。でんでーーーん!でんでんやーい!」
妙齢のご婦人が“でんでん”を連呼して探している姿は笑われるだけだ。
の頭を片手で思い切り掴み黙らせる。
「頼むから黙れ〜〜〜。それに、そうバサバサしていたら隠れちまうだろう?もっと丁寧に探せよ」
傘の先で器用に葉を裏返しながら将臣もカタツムリを探す。
「将臣くんが遅いからいなくなった!」
「・・・ったく。見つけた時に採ってくりゃよかっただろうが」
「触れないもん。やだよ、触るのは」
少しばかり首を傾げる将臣。
つまり、触りたくないから呼びに来たのだ。
将臣の役目が判明し、最初からわかっていたのであろう知盛を少しだけ恨んだ。
「諦めろ。で?どの花がいいんだ?」
「あれとそれ。紫と青って言ったじゃん」
僅かにある白は要らないらしい。
言われた通りの花を採ると、適当にまとめてやる。
「ほれ。受付行くのか?」
「大丈夫。これくらいって言ってあるし、先生とも顔見知り。診察の時に持って行けって言われた」
先に貰っていたのだろうアルミホイルを取り出し、花束のようにまとめてから受け取った。
「手が汚れたの俺だけ?」
「そこに水道あるよ。洗えば?」
すっかり満足したのか、将臣の事はもうどうでもいいらしい。
「へえ、へえ。・・・・・・あ、さんきゅ」
将臣の傘を持ってくれ、ハンドタオルまで貸してくれた。
「で?ご褒美は?」
「逆。私が見つけたの。私にご褒美じゃない?視力落ちたかと思ったら、過労だって言われたし。働き過ぎ
というか、現代病だよね〜〜〜。ディスプレイと睨めっこ。最近、コンタクトが飛ぶ、飛ぶ」
ドライアイをも疑ったが、結果は極度の疲れ目との診断。
残業続きが主な原因とはいえ、ゲームのし過ぎもあると思ったのは医師にも黙っておいた。
それなのに───
「アホらし。ど〜せ夜な夜なゲームしてるだけだろっての!ただいま〜」
将臣にドアを開けられ、文句を言い返す暇も無くが先に入るようになってしまう。
「ああ。花瓶はそこ」
「はい、担当〜。デザート食いたきゃやるんだな」
花瓶を将臣に持たされ、まんまと生け花の係に任命されてしまった。
「・・・華道なんてありえんですよ、ホント。入れればよい?」
「クッ・・・剣山を使う程でもないだろう。適当に」
そう言われれば気も楽だ。
紫と青が上手く交互に来るように花の位置を調整し、花瓶をチェストの上に置いて二歩下がって眺めてみた。
「よし!出来た。完璧」
「普通、自分で言うか〜〜〜?で?アイスがいいか?それとも、ケーキ系?」
手を洗って着替えてきた将臣が腕まくりをしている。
頼めば少しずつ全部をしてもらえそうだ。
他に客がいないのをいいことに、思いっきり都合のよいリクエストを叫んだ。
「チョコレートケーキにバニラアイス添えで、ストロベリーな感じプラスで、飲み物はホット!」
「長っ。しかも、寒いのか?」
「冷房きいてるから、座ってたら寒くなるかな〜って」
指定席のカウンターに座ると、将臣の手元を眺めだす。
「こっち側は案外暑いんだけどな。ま、知盛が新作淹れてるから、飲み物はいいとして」
本日のお勧めケーキを慎重に切り分け、皿の上での配置を考える。
ケーキだけではないのだから、メニュー通りの盛りつけでは済まされない。
考えていると横から知盛に位置を示され、そこへケーキを置いてみると、何となくだが全貌が想像出来た。
続いて隣にアイスを並べればいい。
「・・・ひとりで考えなきゃ〜〜〜。スイーツはアートですよ」
「煩いな。メニューに無いモノを急に言われたら誰だってこうなるん・・・だぁ〜?」
アイスが上手く配置出来ずに、ケーキと接合してしまった。
「わりぃ。少し失敗した」
「う〜ん。頼んだ私が悪いのか・・・将臣くんの腕前が悪いのか、微妙」
せっかく美しく層になっているケーキの断面が、アイスに浸食されてしまっている。
将臣の背後から神の手のように知盛の手が伸びてきた。
「こうして、こう。・・・さあ、召し上がれ」
チョコレートケーキに生クリームと金粉が追加され、アイスクリームにはチョコレートソースでマーブル状に
葉のように絵が描かれている。
ケーキに接着してしまったアイスの部分が見事に隠され、最初から予定したかのような盛り付け。
トドメに飾り切りをしたイチゴが添えられると、赤い花のようで、皿の上が突然可愛らしくなった。
「うひゃ〜〜〜。アートだ。でも食べる!」
フォークでさっくりイチゴを突き刺すと、機嫌良く頬張り始めた。
「ちぇ〜〜っ。また知盛にいいとこ取りされた」
「アイスがくっついちゃった時点でミッション失敗だったね〜〜〜」
将臣をからかっていると、
「任務といえば・・・カタツムリはどうした?」
まんまと知盛によって忘れ去ろうとしていた事を思い出させられた。
「・・・もういなかったですよ。遅かったみたい。子供がとっちゃったのか、隠れちゃったのか、わかんない」
しょぼくれつつもアイスを食べている辺り、食い意地が勝っている。
「こいつ、ばっさ、ばっさ葉をめくって探しやがるから、あれじゃいたっていなくなるぜ?」
笑いながら知盛が淹れたコーヒーをの前に出してやるのは将臣。
「ふむ。カタツムリは・・・どこへ行くのか心配だからな・・・・・・」
知盛が花瓶の傍に近づき、紫陽花を眺める。
カタツムリは最初に宣言していた通りオマケ程度なのだろう。
紫陽花の花の色がの言いたい事を見事に知盛に伝えてくる。
「心配?カタツムリが?」
「銀色の足跡を残して下さるが・・・乾燥したところでは生きられないだろう?」
言われてみれば、店内はエアコンで除湿されてしまっている。
もしもカタツムリを採れたとして、その後の事までは考えていなかった。
「知盛さんがでんでんに優しいのが意外」
「掃除した時に出てこられても嫌だろう?」
数枚葉を裏返してみたが、やはり件の主はいなさそうだ。
「けっ!知盛は掃除しねぇ〜だろうが。どうせ干乾びたカタツムリを俺様が見つけて捨てるだけだ」
「あのさ〜〜〜、いないのがわかっている“でんでんちゃん”に失礼だよ〜、二人して」
そういうも元気にケーキを食べ続けている辺り、かなり説得力に欠ける。
「なんだかな〜、もう!おかわり!!!」
「うわ!デザートおかわりなんてアリかよ!で〜?今度は何?」
の食欲に、有り得ないは有り得ない。
本日のチョコレートケーキは実のところ知盛作で、将臣としては自分が作ったケーキを食べさせたくもある。
「そっちのイチゴのスライス失敗しちゃったけど並べちゃったみたいなの」
「・・・そういう推理はせんでいい。OK!今度は綺麗に盛りつけてやる」
まさにの言う通りなのが癪だが、味の批評も欲しいところ。
将臣作のケーキを選んでくれたことに感謝しつつ、今度こそ独りで皿に盛りつけ始めた。
「、少し待ってろ。仕事をやる」
「へ?」
振り返るより早くの頭を軽く叩いた手の持ち主は居なくなっている。
奥の休憩部屋に入ったのを見届けてからコーヒーを手に取った。
「じゃん!いちごスペシャルを味わえ」
「期待してるぅ〜〜〜」
多少不格好でも重要度が高いのは味。
フォークを手に取りパクついていると、小さな本と包みを手にした知盛が戻って来た。
「あ。去年の七夕の残り?」
「まあな」
差し出されたのは折り紙と折り紙の本。
知盛が指を挟んでいた箇所を素直に開くと、そこにあるのはカタツムリの折り方。
「わわわわわっ!これ、でんでんだ。折るっ。折りますっ」
折り紙を一枚取り出し完成サイズを想像する。
やはり紫陽花にのせるならば、現状の折り紙の四分の一の大きさがいいだろう。
手早く半分に切り、さらに半分にしと、思わぬ器用さを披露する。
「へ〜〜〜。前もそうだったけど、は年寄りくさいよな。今時、折り紙なんてさ」
鶴も折れない将臣としては、祖母を思い出してしまうアナログな遊び。
「う〜ん、そうかなぁ?これだって鶴の変形だし、そんなに難しくない。で〜きた!」
折り紙で作ったカタツムリをカウンターの上に置くと、再びケーキに集中する。
そんなからケーキの感想が聞きたくて、カウンターから離れられない将臣。
知盛がひょいとカタツムリを摘み上げ、セロテープ片手に紫陽花の傍へと立った。
「クッ・・・定番があるのは見栄えもいいしな?」
たかがカタツムリ、されどカタツムリ。
何故か葉に一匹いるだけで、季節を知らせてくれるばかりか口元がゆるんでしまう。
しばし紫陽花と蝸牛を眺めると、コーヒーのおかわりを催促される前にカウンターの中へと戻った。
「・・・イチゴ、もう少し薄くスライスすべきだったと思う。粒がごりっとした〜」
「はあ?薄くしたら歯ごたえがないとか言ってたじゃん」
「限度があるよ。何ミリがいいのかなぁ?そんなの定規で測りながら食べないし!スポンジは二重丸」
そこまで味わっているのかあやしい速度で食べ進む。
あっという間に皿だけが残されていた。
「知盛〜、ダメだしくらった。店に出しちまったのに」
「ああ。あと二mm程度薄い方がよかっただろうが・・・イチゴは傷むから、早めに使い切りたくてな」
「そうきたか!経営者の策略が潜んでいたとわ〜〜〜。ま、得したと思えばいっか」
ケチられたイチゴより、大目の方がまだマシだ。
「どっちもありえねー!どうしてくれんだよ!!!」
頭を抱えた将臣が天井に向かって叫ぶ。
「う〜ん。アイスに細かくトッピングとか?そういう使い方でもよかったよね。でもさ、もう半分も売れたんだ」
ケースに残っていたのは、丁度ホールの半分。だから切り口が見えていた。
「まあな。土曜日はデザートセット注文の人が多いんだ」
天気のおかげで酸味があるケーキの方を選ぶのも頷ける。
「なるほどー。チョコは明日まで持つかぁ。じゃ、イチゴの残り食べちゃおうか!私、お昼まだ」
「・・・何してたんだよ、こんな時間まで」
壁にかかる時計を見上げれば、針はしっかり二時を指し示している。
「あの眼科は評判良くて待ち時間が長いんだよ。だから、最初に駆けこんできた時間が、終わってそのまま来た時間」
の前にコーヒーのおかわりを置いた知盛が、ドア方向を指差す。
「へ〜い。じゃ臨時休業にしますか。取りあえずそのコーヒーでブラックホールな腹を誤魔化しておけ」
椅子から下りてターンして見せると、ドアの札をかえに向かう。
が来た時点で午後は遊び相手が出来たと考えていたのだが、服装からこのまま外出するのか判断しかねていた。
こうなればデザートの味見担当がいるのだから、ケーキをひとつ焼ける。
「・・・まったく。蝸牛の話の時に先に言えばいいものを。オムライスでいいか?」
カウンターの向かい側から知盛がの眉間に指で触れると、首を突き出して抵抗をしてくる。
長くは待てなさそうな様子を見てとり、一番早く出来そうなメニューを告げた。
「嬉しい〜〜〜。紫陽花見つけてよかった〜」
「バ〜カ!俺が切ったんだろうが」
「でんでん見つけられなかったくせに〜〜〜!!!」
コドモの口げんかにはついていけないと、軽く肩を竦めると料理にとりかかる知盛。
どうせ将臣も食べたいと言うに決まっている。
ひとつ作るも、ふたつ作るも変わらないと、片手で卵を割り始めた。
食欲旺盛なお客様は、事前にご予約いただければ助かります。
料理を見ると食べたがるバイトくんがいるため、料理人の手間が二倍になりますので。
臨時休業のサービス等があるかもしれません。
(Printing day:2009.07.04)
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